soyけんです。育児奮闘中の3児のパパです。
ついつい「~~しなさい。」と言ってしまうことありませんか。
実際、soyけんも他者がすることに対して、どうしていうことは聞かないのか。
なんで、そういうことを言うの。
もういやだ。
やめてほしい。
など、心身ともに疲れてしまうことがありました。
そんなとき、「嫌われる勇気」岸見一郎、古賀史健著と出会い、人生の見方が変わりました。
以前よりも自分のことをコントロールできるようになりました。
以前よりも、生きやすくなりました。
アドラー心理学「課題の分離」についてお話ししたいと思います。
アドラー心理学「課題の分離」とは
「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離することです。
こういった言葉があります。
「馬を水辺に連れていくことはできるが、馬に水を飲ませることはできない」
馬を水辺に連れ行くことは私の課題としてできます。
しかし、馬にいくら「水を飲め。飲むんだ。馬~~。」と言っても、
馬は水を飲むかどうかはわかりません。
水を飲むのは馬の課題であり、自分の課題ではないからです。
あらゆる人間関係のトラブルは、課題の分離ができていないことが原因
あらゆる人間関係のトラブルは、
- 他者の課題に土足で踏み込むこと
- 自分の課題に土足で踏み込まれること
この二つによって引き起こされます。
たとえば、勉強するということ。
勉強をするのは、勉強する人の課題です。
しかし、「勉強しなさい。」と言ってしまうから、トラブルになります。
他者の課題か自分の課題かを見分ける方法
その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?
では、勉強しない人をそのまま放任するのか。
いやいやそういうことではありません。
勉強をするかどうかは他者の課題です。
では、自分の課題は何か。
それは、勉強するように声をかける。
勉強がしやすくなるように環境を整えてあげる。
「何か困ったことがあれば頼ってね」と伝える。
勉強をやろうという気持ちになれるよう、自分にできることはします。
ですが、それで勉強しないからといって怒ってしまうのはよくありません。
子どもが何をしているか知ったうえで見守ることが大切です。
あれこれ口出ししてはいけません。
他者はあなたの期待を満たすために生きているのではない
ユダヤ教の教えに、
「自分が自分のために自分の人生を生きていけないのであれば、いったい誰が自分のために生きてくれるだろうか」
自分の信じる最善の道を選ぶことが、自分の人生を生きているということであります。
他者の評価を気にすることはありません。
他者から嫌われることを恐れません。
そうすると承認されないかもしれません。
ですが、自分の足で自分の意志で行動することで自分の人生を生きていくことになります。
「わたしはこの人に何を与えられるか」を考えていきましょう。
対人関係のカードは常に「わたし」が持っています。
まとめ
アドラー心理学「課題の分離」とは、
「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離すること です。
あらゆる人間関係のトラブルは、
この2つによって引き起こされます。
他者の課題か自分の課題かを見分ける方法は、
その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?
ただし、放任主義ではありません。何をしているのかを知っていることが大切です。
そのうえで、「わたしはこの人に何を与えられるか」
こういったことを考えていくことが大事です。
対人関係のカードは常に「わたし」が持っています。
自分の信じる最善の道を選び、自分の人生を生きていきましょう。
今日も最後までブログを読んでくださりありがとうございました。
sky on you.
いつも となりに やすらぎを